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Presents Vol.37

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

理解

お互いを理解し合うことが、いまほど難しい世の中はないのかもしれません。

職場でも、学校でも、隣はみなライバル。競争相手でしかありません。
また、これだけ犯罪が身近になってくれば、他人に対して心を許す事も難しくなります。
人を見たら泥棒と思えが当たり前の世の中。
戸締まりを気にせずに外出するなど、すっかり昔話になりました。

この背景に、僕は行き過ぎた資本主義の姿を見ます。
たしかに、おかげで世の中は便利に発展しました。
けれど、資本主義が内包する競争原理にはブレーキが効きません。
結果、個人を孤立させ、心の連帯まで失わせてはいないでしょうか。

もちろん、だから社会主義がいいというのではありません。
個人の努力が報われず、機能不全を起こしたのは歴史の事実です。
つまり、どちらか一方ではなく、両方のバランスが必要なのです。
しかし、残念ながらいまはアンバランスな状態で、誰もがとげとげしい心で孤独な日々を生きています。

昨今、親族間殺人が増えているというデータがあります。
殺人事件のじつに80%が親兄弟などの親族間で発生しています。
ここに僕は現代社会の根本的な乾きがあるように感じます。

それは、理解し合うことに対する乾きです。

いちばん理解してほしい相手(親族)から、理解してもらえない。
そのとき、人は絶望し、相手のいのちを奪うほどの激しい怒りをおぼえるのではないか。
時代のもたらす孤立もそれを助長しているのでしょう。
そして、そもそもそれほどまで人は根源的に理解を欲する存在なのです。

「武士は己を知る人間にいのちを注ぐ」
戦国時代のこの言葉に出会ったときは、衝撃でした。
いのちと釣り合うほどのものが、己を知ってもらうこと=理解してもらうことである。
昔の人はその真理にとっくに気がついていたのです。

いのちを注ぐほどの価値を持つものが、理解です。
では、それを得るために何をすべきか。
僕はまず最初に「あげる」ことだと思います。

いままでのように、理解してほしいと相手に求めるだけでは、いつまでたっても得られない。
まず先に相手のことを理解してあげる。
情報をあげる、やってあげる、許してあげる、褒めてあげる、愛をあげる。
先に愛情を注いであげることで結果的に自分のところに戻ってくる。
自分の経験を振り返っても、与えれば与えるほどに結局は得られることが多かったように思います。
まさにあげる人は一番得られる人。
逆に「とる」人は失う人なのです。

なにもキリストやマザーテレサのように与えろと言っているわけではありません。
ただ、自分よりほんの少し相手を優先する。
それだけで乾いた毎日はずいぶん潤ってくるように思います。

求めるより、あげること。
その転換がいま、個人にも、社会にも
求められているのではないでしょうか。