信用取引き、などという言葉もあるように、「信用」はビジネスに欠かせない要素です。
また、もちろん個人においてもそれは同じ。
信用こそ、あらゆる関係の基本である。そう言っても過言ではありません。
相手に信頼されること。
そもそも、それを渇望する存在が人間ではないでしょうか。
働く場面においても、信頼は、お金以上の評価となります。
たとえば仕事でがんばり、その結果、無言で1万円を渡されるのと、
「すごくいい仕事だったよ」と声をかけられるのは、どちらがうれしいでしょうか。やる気になるでしょうか。
長い目で見たら、お金だけでは人は働く意欲を持ち続けられません。
たしかにいま、報酬額イコール評価、そんな結果主義がはびこっています。
しかし、そもそも報酬とはそれぞれの仕事に対して適正なのか、はなはだ疑問です。
汗ひとつかかず、パソコンに座って金融取引をして大金を稼ぐ。
それは果たしてお金に見合う仕事なのでしょうか。
貧富の差をあらわすジニ係数が、日本は現在0.42だそうです。
極めてその差が激しいとされるアメリカが0.46。
一億総中流と言われた日本は、いまやアメリカと肩を並べようとしています。
それは結局、ある一部の人間が涼しい顔をして大金を稼ぎ、
残りの大半はまじめに働いて生活ぎりぎりの賃金を得ている。
そんないびつな社会が生まれている証拠です。
こうした社会構造は大きな問題です。
変えていく必要があると思います。
ただ一方で、企業の報酬額と社員定着率は比例しないこともまた確かです。
むしろ、高額の報酬を得ている人間ほど、転職を繰り返す傾向にあります。
コンサルティング会社のリンクアンドモチベーション代表・小笹芳央さんは、
働く意欲をあげるには「意味報酬」が大切だと言っています。
これは、「がんばったな」「いいじゃないか」と言葉で相手を評価してあげること。
他人評価が高ければ、人間は自己評価も高まります。
そうすることで、モチベーションはあがる。
自分がその会社にいる理由がどんどん大きくなるのです。
しかし、残念ながら今、職場に余裕がありません。
成果主義の名の下に、それぞれが目の前の数字をひたすら追わされている。
他人に優しく接することが難しいのです。
人間はもともと安心を求める動物です。
だから会社という集団をつくり、互いに信頼し合うことでその安心を深めます。
しかし、安心の場であるはずの会社が今、不安の場となっている。
この状況は悲劇でしかありません。
隣の同僚が敵であり、互いに疑心暗鬼。
プレッシャーからイライラが募り、他人を平気で傷つける。
そこには他人評価もなく、当然、自己評価もありません。
誰もが下を向いて働く職場、というわけです。
以前から「癒し」がブームになっています。
僕は、癒しとは自己肯定行為であると考えています。
否定されず、すべてを受け入れてもらう。
そこでは、自信を、自己評価を取り戻すことができるのです。
自己評価が普通に得られない世の中だからこそ、この癒しブームは今も終わらないのでしょう。
そうであれば癒しが必要な社会とは、じつは極めて不幸な社会ではないでしょうか。
会社とは、そもそも安心への欲求から生まれ、それを提供する場であるはずです。
極端に言えば、癒しの場だと思うのです。社会や働く人を幸せにする。
その重要度を増し、会社の存在意義というモノを
もう一度根底から考え直してみてはいかがでしょうか。
この時代に、このメンバーでこういうお客様で、
その全ての関連性の中で存在している理由。
働く人にとってもそれを利用する人にとっても社会にとっても
必要であることが、最大の存在理由でしょう。
会社の存在意義をもう一度考え、世の中をよくしていく。
決算書をよくすることだけが会社の使命ではない。
僕はそう考えています。