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Presents Vol.30

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

希望

人と人が分かり合う。理解し合う。
そのことに対する失望が、とくに若い世代に広がっている気がします。
あの秋葉原通り魔事件をはじめ、多くの無差別殺傷事件を引き起こした要因のひとつが、
人に対する失望ではないでしょうか。

秋葉原の事件後、容疑者である男性はテレビをはじめとするマスコミに異常者として取り上げられました。
ある女性キャスターは彼に対して、「私にはまったく理解できません」とコメントしていました。
僕はこれに大きな違和感を持ちました。

強い影響力を持つマスコミが、理解できないという理由で簡単に人間を排除する。
それはあまりに無責任だし、多くの人に対し、理解できないものにはフタをしてよいのだと
メッセージを送ることになるのではないでしょうか。
それでは何の解決にもならないし、わずかな前進もありません。

彼の生い立ちや、インターネット掲示板への書き込みを見れば、
誰かと理解し合うことを強く求めていたことがわかるはずです。
でも、それが叶わなかった。
世の中から押し出され、孤独が行き着くところまでいった。
その結果が、あの事件ではないでしょうか。

これは他人事ではないと僕は思います。
分かり合うことを拒絶し、人を孤独にさせる。
これが、私たちの生きる資本主義社会の本質だからです。
資本を個人に帰属させるのが資本主義。
そうであれば、生まれるのは当然、個の競争です。
資本主義が先鋭化すればするほど、その競争は激しくなる。
そこでは相手を思いやる、互いに分かり合う、理解し合うなどということは敗退の原因でしかありません。

いまの資本主義とは、果てしない戦いを続ける世界トーナメントのようなものです。
勝ったと思ったら、すぐに次の勝者が現れる。
そうやって、最後のたったひとりの勝者になるまで戦い続けるわけです。
それはたしかに、勝ち残ったたったひとりを強烈に幸せにするかもしれません。
でも、それ以外のすべての人間を不幸にする。
そこに幸せの共有は存在しないのです

人間の活動には限りがあります。
日々、何を想い、何を行動に移すか。
その資源(リソース)を相互理解に向けることは、ますます難しくなっています。
目の前の競争にただ勝つ。それにほとんどのリソースを注がなければ、
生きていけない世の中になってきたからです。
人間への失望は、日増しに深まっています。

けれど、人は本来、分かり合いたい存在であるはずです。
僕の大好きな言葉に、「武士は己を知る人間に命をそそぐ」というものがあります。
命という人にとっても最も大切な存在を天秤にのせたとき、それを凌駕するもの。
それが「己を知ってもらうこと」だというのです。
僕自身、深く納得できる言葉です。
誰かに自分のことをわかってもらいたい。
それこそが、人が求めてやまないものではないでしょうか。

人が求める最大の希望、それは互いに分かり合うことです。

なぜ、こんなにも生きることに空虚感があるのか。
なぜ、こんなにも心が飢えているのか。
いったい、私たちは何を失ってしまったのか。
悩むことが不幸なのではなく、
たったひとりで悩むことが不幸なのです。
失望から、希望へ。
もっと人と人が分かり合える世の中へ。
私たちはもう一度、真剣に向き合うときではないでしょうか。