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Presents Vol.29

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

天秤

人はそれぞれ心に天秤を持っていて、それに何をのせるかで人生は決まる。
僕はそう思っています。

仕事をがんばるには、モチベーションが必要です。
言ってみればこれも天秤。
給料、評価、昇進など、何をのせるかでその人のがんばり方は変わってきます。
当然、大きく重いものをのせたほうががんばれるのですが、
つい人は目の前の小さく軽いものをのせてしまいます。

たとえば、月々の給料を1万円増やすというオモリを天秤にのせたとします。
すると、日々の仕事をいかに効率よくこなすか。
そんな小手先のことにばかり気が向いてしまうでしょう。
または、いまの給料分だけ働く、怒られるのが嫌だから適当に働く。
そんな消極的で小さなオモリをのせたとすれば、評価されるような仕事などできません。

それよりも大きく重いオモリをのせたらどうでしょうか。
たとえば、天秤にお客様の笑顔をのせてみる。
すると、やりがいも、収入も、評価も、結果的により多くのものが得られるはずです。
オモリの分だけ、確実に見返りも大きくなるのです。

さらに、天秤とは物事の判断の正しさにも関わってきます。
些末な軽いオモリをのせたのであれば、あっちへふらり、こっちへふらり。
いつも安定せず、正しい判断ができません。
けれど、重いオモリをのせた天秤であれば、どっしりとしていてぶれない。
遠くを見据え、視野も広くなります。

例えば、主演映画の舞台挨拶で不機嫌そうな振舞いを行い、
著しくイメージを悪くしてしまった沢尻エリカの場合。

彼女はあの時、天秤に何をのせていたのでしょう。
それは、とてもちっぽけで個人的な怒りだったはずです。

しかし、彼女の中ではその些細な怒りが全ての事柄に対して勝り、
そのため多くの関係者、視聴者からひんしゅくを買い、後に謝罪するはめになったのです。

その時、天秤に乗っていなかったもの(視聴者、関係者)を知り、それがいかに尊くありがたいものか、
怒り以上に重たいものがあったことを身をもって知ることになったと思います。。

現在の社会は、利益誘導主義に偏り、それについて行けない人たちを阻害する傾向にあります。
世の中全体が、天秤に[利益]というオモリをのせ、人の価値をはかっているのです。
社会や会社への貢献は、それだけではないはずなのに。

それよりも周りがもう少し[思いやり]というオモリを天秤に乗せたら、
理解し合う喜びへと変わり、互いが幸せになれるのではないでしょうか。

何故、会社を辞める人がこれほど沢山いるのか。
その根底にあるものは共通していると思います。
それは自分の存在理由をその場所に見いだせないからです。

だとすれば、互いに尊重し、感謝し合うことができれば、
自分がこの場所に必要だという充足感が得られるはずです。

もし、あなたにそれができれば、皆が尊敬と感謝を与えてくれるでしょう。

天秤を考えるとき、思うのはあの徳川家康の言葉です。
彼は子孫に家訓を残していますが、出だしはこの言葉で始まります。

----人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

幾重にも意味を持った、天下人の深い言葉ではないでしょうか。

家康が背負った「重荷」とは、決して我欲などではない。
それは日本国、国民を想う気持ちだったと思います。
武田信玄も今川義元も北条氏直も、戦国を生きた大武将はさまざまにいました。
けれど、なぜ家康が天下をとれたのかといえば、
他の武将が覇権奪取という野望のことだけを考えていたとき、
ただひとり日本を平定させるという[大義]を天秤にのせていたからだと僕は考えます。

家康は、自ら大きな業を背負ってでも戦国の世を終結させ、
平和な世にしてみせる、という同時代の武将たちの私利私欲によるものとは違う、
誰よりも大きい想いを背負っていたように思えてなりません。

自分の命より大きく重たいもの[大義]を天秤にのせていたからこそ、
判断を誤ることなく天下平定を実現できたんだと、家康は言いたかったのではないでしょうか。

天秤に何をのせて生きるかで、人生の行き先も、
過ごし方も変わっていきます。
目先の事柄にほんろうされているのであれば、
心の平安はいつまでも得られません。
人としていかに生きるか。そのあるべき姿こそ、
天秤にのせるべきものだと思うのです。
そして、それこそが、
ほんとうに幸せな人生を与えてくれる。
僕はそう思っています。