MEDIA SYSTEM

Presents Vol.26

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

背負う

[何かを背負うことで成長できる]

「今日、契約をとれなかったら死ぬ。もし そうなったら絶対にとれるだろう?」
かつて、会社員時代に社長からそう言われたことがあります。
冗談とはいえ、嫌な気持ちがしました。
しかし一方で、たしかにそれはそうだろうなという納得もありました。

いま、自分が経営者となって感じるのは、
社員が自分の能力の30%も発揮していないのではないか、という思いです。
全力を出せばもっとできる。
だから、がんばってやってほしい。
僕以外の経営者の多くも、おそらくそう思っているはずです。
かつて、死ぬ気になればできると言った社長も同じ気持ちだったのでしょう。

もちろん、死ぬなどという例は極端すぎます。
しかし、要はどれだけ強いモチベーションが持てるか。
それによって本人の実力の最大化が図れることは事実です。

たとえば、自分の親が倒れたとしたらどうでしょうか。
それまでどんなに仕事が忙しく、
時間がないと愚痴をこぼしていたとしても、
今までどおりの仕事をこなしながら親の面倒をしっかりと見るはずです。

これで限界だ。
そう思っているラインは、モチベーション次第で簡単に超えられるものです。
そして、そうした高いモチベーションを持つために効果的なのが
「背負う」ことだと僕は考えています。

昇進して部下ができる。結婚して伴侶ができる、子どもができる。
責任が大きくなればなるほど人はがんばれるものです。
そうであるなら、なるべく早い段階で多くのものを背負ってしまえばいい。
それだけ成長スピードが速まり、伸び幅も大きくなります。

かつて、僕が日産の営業マンをしていた頃、
最初に配属された営業所は大阪府でビリから2番目の売上げでした。
立地も悪く、建物も薄汚れ、高級車も扱っていない。
あそこにだけは行きたくないと営業マンのだれもが思う営業所で、
僕はクルマを誰よりも売り、上から2番目の営業所にまで押し上げました。
それができたのは、入社したばかりの若造であるにもかかわらず
気持ちのうえでは営業所を、いえ日産を背負っていたからです。
事実、誰かに日産の悪口を言われたら本気になって怒り出していたほどです。

それ以前、僕は母を背負いました。
4歳で父を亡くし、母ひとり子ひとりで育った僕は、
中学一年生のある日、
母が家を買うというので目星をつけていた3軒を見せられました。
そしてその夜、「どの家にする? おまえが決めた家を買うから」
と言われたときはショックでした。
わずか13歳の僕にその決定を任せられたことは、
つまり母の人生を背負うことだ。
当時の僕はそう思い、覚悟を決めました。

その後、起業など人生のさまざまな局面で、
あえて自らに背負うことを課してきました。
そして、振り返れば、
それこそが僕の人生を前進させてきたのだと思うのです。

北京オリンピックに出場する野球日本代表チームの星野監督は、
選手の選考がたいへんですねと聞かれ、こう答えたそうです。
「いえ、簡単ですよ。僕は日本を背負える人間しか選びません。
そういう選手はあまりいませんから」。

私たちメディアシステムも、人事評価の基準は数字ではありません。
背負えるかどうか。そこに尽きます。
いま、自らの仕事をしっかり背負えているか。
部下がいるなら、リーダーとしてチームを背負えているか。
いくら営業成績がよくても、
自分の利益だけを優先する人間は評価の対象にはなりません。
もしそうした人間がリーダーになれば組織も崩壊します。

人事評価をこの「背負う」の観点からしていくと、数字の結果も付いてきます。
なぜなら、背負った人間は驚くほどのエネルギーで仕事に向き合うからです。
星野監督が言ったように、
背負える人間こそが最終的に結果を残すのです。


[「背負う」と「持つ」は違う]

「背負う」とは、下ろすことのない概念です。
自分の親が倒れてしまったとして、
途中で放り出すようなことは当然しません。
一方、「背負う」と似ているのが「持つ」という概念ですが、
これは下ろすという選択肢を含んでいます。

この「背負う」と「持つ」は、マネジメントにおいて大きな差を生みます。
たとえば「部下に権限を持たせる」と言う場合、
結果を出せなかったらその権限は取り上げることが前提です。
それは部下を信頼していないことの表れです。
それでは彼らの成長はないし、真のマネジメントとは呼べません。
権限は持たせるのではなく、背負わせてこそ意味がある。
少しぐらいふらついても、
上司は腹を決め、だまって見守ることが必要なのです。

部下の成長のために、上司はどんどん背負わせていく。
しかし、そうしながらも、部下に背負わせた分を、
上司もやっぱりなお背負っているのもまた事実でしょう。
そうやって最後の最後にはきちんと責任をとる。
つまり、究極のマネジメントとは、
「背負って背負わず」ではないでしょうか。
そうすることで部下の成長という願いが初めて成就できるように思います。

大学生と入社面接をすると、
「尊敬する人は?」との質問に「両親です」とほとんどの学生が答えます。
これは嘘ではないと思います。
歴史を振り返れば数多くの偉人がいるのに、なぜ両親なのか。
その理由は、自分を背負ってくれたからです。
親であっても人間です。
早起きがつらい朝もあれば、職場に行くのが嫌な日もある。
でも、背負っているから逃げません。決して折れません。
すべての行動が子どものためを想っての行為だからです。
その姿を見て、子どもは両親に対して尊敬と感謝の念を持つのです。

これは会社組織においてもまったく同じです。
背負う上司には尊敬と感謝が集まり、
苦言を呈したとしても部下は素直に耳を傾けます。
その苦言に愛情がこもっていることがわかるのです。

背負っていれば、たしかにしんどいときもあります。
苦痛を感じるときもあります。
でも、たとえそうであっても、
背負うことによって得られるもののほうがはるかに大きい。
それが尊敬と感謝です。
もし何も背負わずに生きるとしたら、楽かもしれません。
でも、決して他人からの尊敬と感謝は得られない。
低い評価しか与えられないのです。
僕自身はそんな人生を歩みたいとは思いません。

背負うことは本当に苦痛でしょうか。
苦痛に勝る実りは得られないのでしょうか。
背負うことで、まわりから尊敬と感謝を集め、
限界だと思っていた自分をはるかに超えた自分がそこにいるはずです。

背負うことに年齢は関係ありません。
性別も、経験も関係ありません。
現状の自分に満足できない。
もっと自分を高めたい。
そう思うのであれば、あえて多くのもの、
重いものを背負ってみてはどうでしょうか。
そもそも自分の存在意義を高めることが
万人の生きる目的のひとつであるならば、
むしろ積極的に背負うべきだと僕は思います。