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Presents Vol.25

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

変化 -後編-

[「あなた」の所有者はだれか?]

変化(=成長)の行き着く先にある自己実現。
ここにたどり着くには、顕在意識で潜在意識に勝っていかなければなりません。

顕在意識と潜在意識。
その割合を比べたら、ふつうは圧倒的に潜在意識のほうが優勢でしょう。
アタマでわかってはいても、
快楽への欲求についつい負けてしまう……そんな人がほとんどです。
人間の意識全体を100%とすれば、顕在意識が15%、潜在意識が85%。
感覚的には、おそらくそのくらいの比率ではないでしょうか。



しかし、そうであれば僕はあえて問いたいのです。

「あなた自身の所有者はだれなのですか?」と。

この質問を多くの人にしてきましたが、
ほとんどが「わたしです」と答えます。

「わたし」とは本来、自覚できるもの。
つまり、わたし自身の所有者は顕在であるはずです。
けれどその顕在が潜在に圧倒的に負けているなら、
そこに「わたし」はいない。
つまり、わたし自身を所有していないことになります。

それでは生きていないに等しい。

言ってみれば、過度に潜在が優っている人は、
木に寄生している「宿り木」です。
家を借りて住まわせてもらっている「賃借人」です。
つまり、生かされている存在です。

そんな人間が輝かないのは当然だし、
魅力など持てるはずもありません。
潜在に負けるとは、つまり自ら生きられない。
それほど深刻な問題なのです。


[潜在意識に負けたとき、会社に所有される]

顕在意識が潜在意識に勝たないと、
つまり変化を遂げないと、生き生きとした人生を送れない。
それがわかってもなお、多くの人は現状から抜け出せません。

そのとき、何が起こるのか。

仕事であれば、会社による変化の強制です。
社員の意思にかかわらず、たとえ嫌だと思うことでも、
指示・命令によって企業が無理矢理やらせるのです。

そのとき、「わたし」の所有者はだれなのでしょうか?

そう、会社です。

だからこそ、その成果は社員が挙げたものではなく、会社が挙げたものである。
そんな理屈が成り立ってしまうのです。
社員が自ら変われないから、会社が変える。
それによって得られた成果であれば会社のものである。
なぜなら、「わたし」を所有しているのは会社なのだから――――。

この状態のとき、言ってみれば意識の半分以上を会社に所有されているといえます。




会社に自分がまるでペットのように所有される。
想像しただけでぞっとするはずです。
しかし、多くの企業で実際にそのようなことが行われているのです。

その背景には性悪説があります。
企業は営利を目的としている。
社員自身が成果を出せないのであれば、
雇用する側としては社員を強制せざるを得ないし、
そもそも強制しなければ人はよくならない。
そんな考え方がまかり通っているのです。

かつて、僕も小学生の頃に母親に所有されたことがあります。
僕は官僚の家庭に生まれ、失敗は許されない環境で育ちました。
勉強はいつも母に手直しされ、言うことにそむけば罰を与えられる。
完全に母のコントロールの下にありました。

しかし、中学に入って僕は抵抗をはじめました。
母の言うことを一切聞かず、
彼女が悲しむありとあらゆることをしてやろうと決めたのです。
当時、僕にできる精一杯の抵抗は、グレることでした。
勉強をまったくせず、授業中にゲームをしたり、警察の厄介になることもありました。
そうやって母に反発して少年時代を過ごしてきました。

先日、世間を震かんさせた秋葉原通り魔事件の加害者が、
そんな僕と似たような境遇にいたことに驚きました。

彼の場合、少年期は厳格な父にいつもしかられ続け、友達もいなかったそうです。
おそらく父に所有され、抵抗できずに毎日を過ごしていたのでしょう。

ひとつ間違えれば彼のように僕も罪を犯していたかもしれない。
そう思うとぞっとしました。

だからこそ、本気で変化に向きあうべきなのです。
そうでなければ、だれかがあなたを所有し、
自分の人生を生きられなくなるのです。


[変化をもたらしてくれるもの]

では、どうしたら変化できるのか。顕在が潜在に勝てるのか。

それを考えたとき、お手本になるのはやはりプロアスリートです。
彼らはスキルの向上のために、
一見退屈そうに思える練習を何度も何度も繰り返し、身体に覚え込ませる。
それと同じように、反省の思いを常に持ち続け、潜在に刷り込ませる。
結局のところ、勝つためにはその繰り返ししかありません。

変化は確かにむずかしいものです。

でも、僕自身の経験から言わせてもらえば、必ずできます。

一定の時間はもちろんかかります。
でも、もし本気で変化を求めるなら、人は3カ月で変われるものです。
しかも、一度変化を起こすことができれば、
次の変化はもっと短時間で、しかもラクに達成できます。
そうやってどんどん新たな変化が生まれ、
いっそうなりたい自分に近づいていけるのです。

だれかに所有されたくない。
そう思うなら変化は、
私たちにとって絶対に必要なものです。
そしていかに実りがあろうと、
なんびともだれかを所有してはいけないと思います。
なぜなら、人間の尊厳を犯していると思うからです。
生きる。
本当の意味で生きる。
生かされるのではなく生きる。
それほどまでに生きるとは尊いものではないでしょうか。