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Presents Vol.15

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

自分42、相手58

[相手を幸せにした分だけ、幸せになれる]

みなさんはどんなときに幸せを感じるでしょうか。

おいしいものを食べているとき。仕事がうまくいったとき。
それとも家族で団らんしているときでしょうか。
おそらく100人いれば100通りの答えがあると思います。
けれど、これ以上ない至上の幸せとは。そう訊ねられたら、
多くの人は言葉をつまらせるかもしれません。

それは、無償の愛をもらえたとき──僕自身はそんなふうに思っています。

無償の愛とは、自己犠牲と言い換えてもいいかもしれません。
自分の損得を省みず、深い思いやりをもらえたとき。
ほんとうにうれしく、たまらない気持になります。
そして同じことをその相手にもしたくなる。
そんな気持のやりとりが、さらにまた大きな幸せを生んでいくように感じます。

たとえば、仕事で大きな成果を挙げる。
それも幸せのひとつに違いありません。
けれどたったひとりで得られる幸せのレベルは知れています。
どんなにお金を出そうとも、決して手に入らない。
もっと大きく、もっと深い幸せとは、
誰かとの関係性においてはじめて得られるものだと思っています。

あるドキュメンタリー番組で面白い実験をしていました。

小学校低学年の子どもを10人集めて、5組のペアをつくります。
そして1組ずつ、代わる代わる部屋に呼んで、
大人が何も言わずにあめ玉を10個、ペアの片方にあげるのです。
大人はふたりを残してそのまま部屋を出て行きます。

すると、もらった子はたいてい1~2個、多い子で3個をペアの相手にあげようとします。
けれど、もらう側の全員がそれを拒絶しました。
「きみのほうが多く、不公平だ」
これが拒絶の理由です。番組のなかで心理学者は、
受け取りを拒絶することで相手に仕返しをしているのだと解説していました。

次に、別の子どもをまた10人集め、5組のペアをつくります。
同じように交代で部屋に招き入れ、ペアの片方にあめ玉を10個あげます。
しかし、今度はふたりで分けるように大人が言い添えてから部屋を出て行きます。

すると、ほとんどの子が、ペアの相手に4個をあげようとしました。
そしてもらった側の全員がそれを受け入れたのです。
自分がたとえ1個少なくても、相手がもらったのだからそれで公平だと判断したわけです。

公平か不公平か。
まずこの概念に対して、人はこんなにも敏感なのかと驚かされました。
企業において人事評価がなぜ難しいか。
その理由もおそらくここに起因するのではないでしょうか。

さて、ひとりは6個、もうひとりは4個。
そうやって公平さに納得したグループのうちでも、
最も満足そうにしていたペアがいました。
それが、最初に相手に半分の5個をあげようとしたペアでした。
しかも、もらったほうは「あなたが最初にもらったのだから」と1個返し、
結果的には他のペアと同じ6個と4個になっているのです。

しかし、そのふたりは見るからに仲が良く、
グループの中で一番楽しそうにしていました。
つまり、最も幸せになれたふたりだったのです。

相手のことを思いやる。その分だけ、自分も幸せになれる。

僕はこの実験を見て、あらためてそのことを思いました。
これは友人、同僚、上司・部下、家族、
およそどんな関係にも当てはまるのではないでしょうか。

しかし、なかなかそれをできないのが今という時代なのかもしれません。
誰もが自分のことで精一杯。相手を思いやる余裕なんてない。
そんな声があちこちから聞こえてきそうです。

けれど、なにも10あるうち、8や9を与えようというわけではありません。
あめ玉をあげた子どものように、半分よりほんの少し多く与える。
僕は42℃経営という自身の経営哲学の中で
それを「自分42、相手58」と表現していますが、
その程度でいいのです。

そうすることで、相手から感謝の気持ちが返ってくる。
それがうれしいから、こちらもまたお返しをしたくなる。
そうやって誰かといっしょに築く幸せは、
ひとりで得る幸せよりはるかに大きく、崇高なものではないでしょうか。


[与えられるだけでは、幸せにはなれない]

幸せを与える側と与えられる側。
もちろん、人はいつもこの両方であるべきです。

しかし、もし与えられることだけを望むなら、
幸福な関係は決して築けないでしょう。

吸血コウモリは2日間、血を吸えないと死ぬといいます。
集団で暮らす彼らは仲間が吸血に失敗すると、
自分の口から仲間の口へ、血を吐き出して助け合います。
しかし何日も続けて失敗したときは放置されます。
それは失敗したのではなく「怠けている」と判断されたからです。
与えられることだけを望む者は、集団からそうやって排除されるのです。

人間も集団で生きる以上、自分だけがよければいいという発想では、
このコウモリと同じ道を歩くことになるのではないでしょうか。
そしてそれ以上に、誰かの善意にだけたよる生き方では、誇りを失う。
それが本人にとってマイナスであることは明らかです。

そのためにも多くは与え過ぎないこと。半分よりちょっと多いくらい。
つまり、自分42、相手58。そのぐらいの加減が適切だと感じています。

幸せな一生を送りたい。どんな人間でも、
生きる目的を問われればそう答えるでしょう。
その幸せとは、結局、
自分ひとりでは満たすことはできません。
相手がいて、はじめて満たされるものです。
そのためにも、まず自分から率先して誰かを幸せにする。
そこからスタートするべきではないでしょうか。