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Presents Vol.06

弊社代表 安田のメールマガジン アーカイブです。

孤独と共有

[社長になって感じた孤独と怒り]

ある夜、テレビを見ていて画面に釘付けになったことがあります。
その番組はさまざまな個人ブログ(日記)を取り上げ、
とくにユニークなもの、心に残るものを映画化する、という企画でした。

深夜、何気なく見ていたのですが、今でも忘れられません。
そこに、ある消防士のブログが紹介されました。
タイトルは「余命3カ月」。
病気で残された時間がわずか3カ月と宣告された彼の、
ある1日を綴ったものです。
ブログは心の奥底からの叫びが、こう記されていました。
僕は死ぬのが怖いんじゃない。
みんなと会えなくなるのが怖いんだ──。

大きな衝撃を受けました。
そして、人は孤独であることが、
死をも凌駕する最大の恐怖であることに、深い納得も覚えました。
たとえば地球上の存在が自分だけになったとしたら──。
誰とも会えず、話もできない。
その状態とは、絶望を意味するのではないでしょうか。
人は誰かと共有をしたい。
それが根本にあることを、改めて認識しました。

母ひとり子ひとりで育った僕は、
ひとりぼっちではいれない子どもでした。
何よりも友だちを大切にして、どんなときも一緒にいる。
それは学生や社会人になってからも同様で、
仲間と分かり合えることこそ僕の生き甲斐でした。

しかし、独立をして社長になったことで、
その生き甲斐は奪われました。
会社を起こしたといっても、社員は前の会社の部下たち。
心を通わせていた仲間たちです。
それでも自分が経営者になったとたん、舞台が暗転するように、
一夜にしてその関係は様変わりしてしまったのです。

僕は雇用主で、彼らは雇用者。
厳然たる労使関係がそこに生まれました。
そして、初めて経営者になった僕は、
会社存続の恐怖に四六時中さいなまれる日々が始まりました。
売上げの達成、利益の確保、借り入れの返済、給与や家賃の支払い。
恐怖の中で奔走しましたが、
業績は上がらず赤字だけが増えていきました。

そうなると、恐怖は社員への怒りへと変わります。つまり、
「自分はこんなにも命を削って働いているのに、お前たちはそれを分かっているのか」
という思いです。
部下の欠点ばかりが目につくようになり、ますます関係は乖離していきました。
そして気づけば、僕が人生で最も望んでいなかった孤独へと陥っていたのです。

[自分を解放したらすべてが変わった]

確かに、本を読めば社長は孤独であると書かれています。
前の会社でナンバー2をつとめ、
社長の一番近くにいた僕はそれを十分に分かっていたつもりでした。
しかし、実はまったく分かっていなかった。
その重圧感と孤独感は、端から見て理解できる範疇を越えていたのです。

「社長」という言葉には甘露な響きがあります。
多くの人にとっての憧れかもしれません。
しかし、社長にはもう後がありません。
失敗は即・退場を意味します。
破産と信用の失墜。
その恐怖に日々戦っているのもまた、社長なのです。
見た目からは想像できない苦しみがあることは、
私事だから言うわけではありませんが、事実なのです。

しかし、一方で社長自身も「社長」という言葉にがんじがらめになっています。
社長になったとたん、他人に弱みを見せられなくなるのです。
恥部を隠し、偽りの自分を作る。
理想の社長像に足りない部分を嘘や見栄で塗り固め、
孤立を深めてしまうのです。

起こした会社が赤字まみれになり、いよいよ進退きわまったとき。
僕は愚かな自分をさらけ出すことにしました。
社員の前で虚勢を張ることをやめました。
偽りの自分への嫌悪感、そして何より孤独であることに疲れ果て、
偽りの社長像を演じるエネルギーがもうなくなってしまったのです。

俺は弱い人間なんだ──。
数年ぶりに、僕は自分自身を解放しました。
社長としてではなく、僕自身として生きることにしたのです。

すると、社員の反応が少しづつ変わってきました。
若手社員が自分たちが頑張らなくてはとより一生懸命になってくれました。
また、給与の遅配を自ら申し出てくれた社員が現れたときは
涙が止まりませんでした。
こうした状況を目の当たりにして、
僕はこの仲間のためならまだやれる。頑張れる。
逆にそう奮い立つことができました。
そして業績もそこから飛躍的に向上していったのです。

社長は孤独である。
この言葉をバカの壁にして、
何の疑問も持たなかった自分の愚かさを、今は深く反省しています。
社長の孤独とは与えられたものではなく、
自分自身が作り出していたものだったのです。
雇用する側と雇用される側、
または上司と部下という垣根をはずし、
お互いを仲間とする。
その共有こそ、人がほんとうに求めているものではないでしょうか。
経営者であれば、思い切って孤独を捨てる。
スタッフであれば、苦しみの淵にいる孤独な経営者を理解する。
その荷物を分けてもらい、
経営者を孤立の悲しみから解放させる。
そうして互いに歩み寄ることで真の尊敬と信頼が生まれます。
そして、それこそ私たちが求めるゴールでもあるはずです。
孤独を捨て、共有を求めて──。
今まで欲して得られなかった空虚な部分にメスを入れ、
本当の幸福感や充足感を目指しても良い頃ではないでしょうか。